出会いと挫折を繰り返して誕生した、旅とアウトドアの名店「パーヴェイヤーズ」/Purveyors 小林宏明

自分たちが本当に良いと思う、旅やアウトドアで使えるアイテムを多数取り揃えるPurveyors(パーヴェイヤーズ)。群馬の元鉄工所という広い敷地を活かしたストーリー性のある陳列もまた話題だ。そんなお店が誕生するまでには、幾多の出会いと挫折があった。

東京から「頑張れば行ける」という距離感がポイント

東京からクルマで約2時間、電車で約3時間。群馬県桐生市の中心市街地にある、Purveyors(以下、パーヴェイヤーズ)。アウトドア好きなら一度は聞いたことのある話題のショップだ。とはいえ、桐生市と言われてイメージがすぐに沸く人は少ない。実際、目抜き通りはシャッター商店街になりつつあり、ちょっぴり寂しげ。ということは、この街の人が、ローカル愛を貫いて始めたお店なのだろうと誰もが思う。

「いえいえ、桐生には縁もゆかりもなかったんです。一時期、東京でカフェをやっていたことがあって、そこのお客さんに桐生出身の方がいらしたんです。st companyというアパレル業界では有名なセレクトショップをこの近くでやられていて」

そのセレクトショップに足を運んでみると、失礼ながら「こんなところに、こんなハイセンスなお店が!?」という驚きがあった。また、最近は小規模ながらも、おしゃれなカフェなどが周辺にでき始めているという。

「すごくよくしてくれたので、“一度はお店に顔出さないと”ということで妻と遊びに来たんです。渡良瀬川があり、その背景に山々が連なっていてコンパクトで美しい点に魅力を感じました。こういう場所でお店を始めたら、東京から人が来るだろうなという“勘”で始めたんです。身近に、st companyという成功例があったのも大きかったですね」

つまり、オープン当初からパーヴェイヤーズのメインターゲットは、都心や東京近郊のお客さんだったのだ。

「頑張れば行けるという距離感が大事なんです。それも、湘南のように都心から1時間程度の場所だと、すぐに過熱してしまう。大変だけど行けなくもない距離感が狙い目。アウトドア関連の店だから、ということもあると思いますが」

実は神奈川県出身の小林さん、高校3年のときに交換留学で渡米し、そのまま卒業式を迎えた。帰国後、約1年間はバックパッカーとしてアジアを旅し、定職に就くべく横浜のレストランバーに就職する。

「飲食のノウハウもわかったし、もういいかなって頃に、よく飲みに来てくれていた社長さんに誘われて音楽レーベルに入ったんです。担当したのがジャムバンドだったこともあって、日本中を巡っていました。その後、独立みたいなカタチでネパール出身のミュージシャンと仕事をするようになり、彼とも日本全国を旅しましたね」

音楽フェスの主催や、ギャラリー運営の過去

それと並行するように野外イベントを開催。それが、知る人ぞ知る『センスオブワンダー』という音楽フェスだ。出演アーティストのセレクトはもちろん、デコレーションなどアート系にも力を入れていることでも話題となった。

「いろいろな方に協力してもらいました。でも、当時は20代と若く、マネジメント能力もなければ、ビジネスのノウハウもなかった。最終的に、たくさんの人に迷惑をかけてしまったんです。評価してくれた方もいますが、内情はいろいろありました……。去って行ってしまった仲間もたくさんいました」

そんな状況に疑問を抱くようになっていた頃、レストランバー時代の社長から突然電話が入る。それは、“南青山にある親戚の物件があるけど、何かやらないか?”というものだった。人生のターニングポイントになると、大人たちから手を差し伸べられる人生のようだ。

「物件を見たとき、ギャラリーが面白そうだなと思ったんです」

そこで始めたのが、アートを中心とした貸しスペース『PLSMIS(プラマイ)』。ディジュリドゥ奏者のGOMA氏が、交通事故後に点描画家となる最初の展覧会や、スケートデッキの廃材を使ったアートで人気となるHAROSHI氏など、注目の展示が数多く行われた。また、前述のセレクトショップ、st companyの社長と出会ったカフェも、同時期に運営していた。

しかし、すべてが東日本大震災で崩れ去る。

「PLSMISのビルが半壊して、自分はその上に住んでいたので家も同時になくなって。社長の親戚絡みの物件だったので、補償云々もなく黙って出るしかなかった。しかも、その2ヶ月後にはセンスオブワンダーも開催される。そのあたりは、記憶も曖昧なくらいハードでした」

挫折から一歩ずつ進んだ先にあった現在の仕事

原発事故もあり、フェスを開催するか否かも含め、公私ともにあらゆる問題が吹き出したという。半ば強引にフェスは開催したものの、残ったのは1000万円近い借金だけだった。

「すべてを失って、完全な挫折を味わいました。面倒臭そうな電話はすべて無視して、耳障りのいいことを言ってくれる人にしか会わなかった。弁護士も含め、みんな仕方がないって慰めてくれるんですよ。社会のシステムだから、会社潰しましょうと。そんなとき、ある先輩だけは“絶対に会社は潰すな。コミュニケーションの先でできた借金なんだから、コミュニケーションで返していけ。返済計画を税理士としっかり相談しろ。明日、一番迷惑かけた人に電話して頭下げてこい”と厳しいアドバイスをしてくれました。その助言がなかったら、いまの自分はない。二度と人前に出るような仕事をしていなかったと思います」

一歩ずつ進んでいこうと決心した矢先、アヴリル・ラヴィーンや安室奈美恵などのMVも手がける、映像ディレクターの菊池久志氏と当時自身が経営していたカフェによく来てくれていて意気投合。ライブパフォーマンス、映像体験、マーケットなどを融合した『太陽と星空のサーカス』というイベントを一緒に手がけることとなる。それらを題材にした短編映画も制作され、感動的なエンディングシーンを具現化した場所を作ろうと、キャンプ場『一番星ヴィレッジ』をプロデュースするまでに至った。

「『太陽と星空のサーカス』をきっかけに、モノづくりをしている人たちとの交流が再び増えていったんです。その結果、2016年に会社を立ち上げ、翌年にパーヴェイヤーズをオープンすることになるわけです」

そのきっかけとなったのが冒頭のエピソードというわけだ。現在、『太陽と星空のサーカス』の運営には携わっていない小林氏。次回は、主に現在の仕事内容についての話を訊いていく。