「地元をカッコよくしたい」元スタイリストの市議会議員が誕生した背景/前橋市議会議員 岡 正己

はじめて、岡 正己さんに会ったのは前橋の商店街の通りだった。スーツではなく、シャツにスニーカー。ラフだけれどスタイリッシュな出で立ちは“市議会議員”という肩書きからは想像ができない姿だった。そう、岡さんはスタイリストから市議会議員に、という、あまりにも意外性ある転身をした人物だ。親の地盤をついだわけじゃない。親戚にも政治家はいない。ただ、岡さんは、自分の生まれ故郷である群馬県前橋市を「変えたい、カッコよくしたい」という思いを貫くために選挙に出たのだった。

なんでも好きなことができたスタイリスト時代

「ファッションが好きで、高校卒業をして文化服装学院のスタイリスト科に進みました。あのころ、雑誌でもスタイリストの特集が組まれるなど、スタイリストがブームだったんです。文化を出てから、スタイリストの岡部文彦さんのアシスタントについて。そのあと独立しました」

アシスタントを3年半務めたのち、24歳のときにフリーランスのスタイリストに。雑誌をメインに、ミュージシャンのPVなどで活躍。本人曰く「イケイケ状態で、本当に好きなことだけやっていればご飯が食べられていた」ほど、仕事は順調だった。
「スタイリストっておもしろくて。元手はゼロ円なのにセンスとアイデアを注入することで対価が生まれる仕事なんです」

たしかに。ブランドから商品をリースして、モデルやアーティストに着てもらう。商品は買取ではないから(ときにリース料が発生する場合もあるが)、そこにお金を必要とはしない=元手がいらないということか。そう発想する岡さん、やはり只者ではない。
だが、好きな依頼を選んで仕事にしていた自由がそうそうできなくなってきた。出版不況が深刻化し、スタイリストという職業と向き合った時、自分の一生の仕事なのかとの疑問が残った。年齢を重ねていく中で消費を加速するための仕事と、自分の中のやりたいことにズレが生じてきた。

「やりたい職業に就いたはずなのに、だんだんとモチベーションがあがらなくなって。悶々としながら続けていました。あるとき、地元に戻ってきたときに、この町、前橋がとんでもなくひどい状態で。そもそも前橋のことは好きじゃなかったけれども、あの絶望を感じたときに、『なんとかしたほうがいいのでは?』と地元愛が目覚めたんです。」

とかく若者は、出身地を「地元なんて嫌だよ」とか「あんなところには帰りたくない」と煙たがるが、岡さんもそうだった。

自分自身がダサいと思うのは仕方がない。だが、それを他人に指摘されたときに、
「同調もできず。かといって『そんなことはない』と反論もできず。ただフリーズ状態になってしまった」という。

そして、「スタイリストがダサいってありえないのに、出身地でダサいって言われちゃうのダメでしょう?(笑)」となり、「前橋に戻って、前橋を変えよう」と思うようになっていた。

自分のキャリアがまったく通用しない土地

「前橋に帰る」とはいえ、いきなり生活の拠点を前橋に移したのではなかった。スタイリストとしてのキャリアをいかすには、当然、東京が最適だ。だが、妻が、“東京で子育てをすることに不安”を持っていたこともあり、家を前橋、仕事は東京というニ拠点生活をはじめた。

「ちょうど下の子が生まれるタイミングでした。前橋での職を探すために、まずはと思いハローワークに行ってみたんです。そこで自分の経歴のヤバさに驚きました(笑)」

スタイリスト仕事があるとは思っていない。ただ、広告的な何かなら、自分でも充分活躍、スキルを発揮できると自負していた。

が、履歴書には、<専門学校卒業、スタイリストアシスタント、フリーでの活動>としか書けない。自分の実績であるポートフォリオやミュージシャンのPVも、“前橋”ではまったく通用しないことに気がつかされた。

東京なら仕事がある、でも前橋にはない????という現実。東京で仕事をすればいいが、前橋に腰を据えたいとの思いも強くなった。ハローワークがダメなら口コミを駆使しようと、友人、知人、親戚らに「前橋でいい仕事はないか」と尋ねてみた。父親から、「新しいラジオ局ができるらしい」と聞き、「それだ!」と決断、すぐに直談判しに行った。
それが前橋市に新設されたコミュニティラジオ「まえばしCITYエフエム」だった。

コミュニティラジオからどんどん人の輪が広がる

「地元のラジオだったら、前橋のことを深く知ることができるし、自分が伝えたいことを発信できると思い、その熱意を社長にプレゼンしたところ、即決。広告営業の正社員として採用されました。サラリーマン経験はゼロですが、スタイリストのアシスタント時代からなんでもやってきていますから、なんの不安もありません。それに、ラジオというメディアですから、営業しやすいんです。単に『広告出しませんか?』ではなく、まず『うちのラジオに出演して、しゃべりませんか?』と持ちかけられますから」

岡さん自身が「会いたい」と思う、興味深い取り組みをしている町の人たちにアプローチしては、その人のことを掘り下げて伝える。岡さんの中には、前橋の情報が蓄積され、どんどん顔も広がっていった。

「ラジオ局に“面白い子がいるよ”とつなげてもらって。局としても、個人としてもいろんなイベントをするようになって輪が広がりました。番組をZINEにして『発行パーティ』をしたり。田舎って誰でも参加できるレセプションパーティのようなものがないので、やりたかったんですよねぇ(笑)。

特徴的な番組としては『前橋自転車通勤部』というのがあって、前橋競輪のことや戦後復興への役割、草レースのこと……など、そういう人たちの話を聞いて、とにかく面白かった」

かつては、ダサいと嫌悪していた故郷だが、自分が関わることで面白さを見出すようになったのか。はたまた、岡さん本人が気づいていないだけで、面白い人たちはいたのか。

その両方があってか、岡さんは“ラジオ局のサラリーマン”という範疇を大きく超えた活動をするようになっていく。

「いろんなことを頼まれるようになって。ラジオ局の営業という業務以外の動きも多くなってくる中で、元々サラリーマン経験がないこともあって、営業部を任されていたのですが部下たちを混乱させてしまったことなどから、わがままを言って、一旦、会社を離れてというか、固定給プラス歩合制にしていただいて。ラジオ局の事業部としての業務と、前橋を盛り上げるためのあれこれを両輪にするようになりました」

前橋市民が抱く、素朴な疑問をぶつけて当選

そうこうするうちに、前橋市議の選挙が近づいてきた。市議になるにはたいそうな資金が必要だと思っていたが、じつはそうではないと知り、岡さんは「立候補者説明会」に出席した。2016年12月のことだった。

「選挙に立候補するには、供託金といって、一時的に法務局に預ける金額があるんです。前橋市議の場合は30万円でしたが、一定の得票数を満たすことができれば返却されますから。それに、ポスターやハガキ、選挙カー、人件費の一部は税金でまかなわれるので、それほどお金はかからずできるなら、チャレンジしようと」

そこで立候補することに。当然だが選挙カーに乗るのも、演説するのもはじめてだ。とりあえず見よう見まねでなんでもやってみた。実践していく中でわかってくることがあった。「自分の声で人を振り返らせなければならない」。選挙カーで名前を連呼するだけでは野暮だ。

「街頭演説で信号待ちのクルマに聞かせるべく、とくに高級車に向けて、『群馬ナンバーがダサいって言われていることご存じですか?』と話しはじめました。多かれ少なかれ(笑)、前橋市民は、自分たちがダサいと思われていると感じていて、それを恥ている。そこを刺激したというか、それをきっかけに、自分が思うことを伝えたんです。前橋市民がダサいと思っているかぎり前橋はダサい。しかし、その前橋の見方を変えたらいいところが必ずある。まずは自分たちを見つめ直してこれからの前橋を考えましょう、と」

その結果、見事当選。2017年2月、新しい市議会議員・岡 正己が誕生したのだった。