「消費者の顔が見える農業に変えたいと思った」広告代理店の営業マンから、岩手県・遠野を背負う農家の道へ/BEER EXPERIENCE 吉田敦史

脱サラして農家になる――。岩手県の遠野へと移り住み、自分ならではの農業に挑戦してきたBEER EXPERIENCE社の吉田敦史さん。彼は「パドロン」と「ホップ」というビールに縁のある作物を育て、遠野のまちづくりに取り組んできた。

岩手県を南北に縦断する2つの山脈。盛岡や花巻がある平野の西側を「奥羽山脈」、東側を「北上高知」という。新幹線が停まるJR花巻駅から釜石線の電車に揺られ、田園風景を眺めること約1時間。東の北上高知にある大きな盆地「遠野」にたどり着く。

遠野は、柳田國男が発表した説話集「遠野物語」の舞台として知られるが、綺麗な水に恵まれた農業の盛んな土地だ。寒暖差があり、夏は暑く、冬はマイナス20度までいくこともあるが、積雪は少ないため多様な作物を育てやすいという。

どうして農家になろうと思ったのか

吉田さんは、元々都内の大手広告代理店に勤めていた営業マンだった。生まれは東京、育ちは神奈川県の横浜市で、祖父祖母の家も都会。田舎暮らしの経験はなかった。会社員時代も都内で暮らしていた。岩手との縁ができたのは、奥さんの実家があったからだ。

「嫁が帰省するときに付いて行って、2005年に初めてこっちに来ました。最初は都市ガスが通っていないことや、都銀(都市銀行)がないこと、下水が通っていなくてボットン便所のところもあることなどに衝撃を受けましたね。かなり世間知らずでしたよ(笑)」

何もなくて自然がゆっくり流れる岩手の空は、広告代理店ならではの激務に追われた毎日を過ごしていた吉田さんの目に新鮮に映った。

「嫁の実家を訪れたあるときに、何もすることがなくてピーマンの収穫を少し手伝ったのですが、実はその一回目で“農業をしよう”と決めました。作業中にふと上を見たら、空がひらけていて、トビが飛んでいて、“ああ、これを仕事にしたいなぁ”と感じたんです。あとは元々、広告の営業って人付き合いは上手くなるけれど、実際にデザインやクリエイティブを作成しているわけじゃなくて、“俺は何をやっているんだろう”という気持ちがどこかにあった。手に職をつけたいという思いもあったんです」

就農しようと思い立ち、半年ほど考える。そして、吉田さんは2008年に東京から遠野へと移り住み、農家となった。

消費者と繋がれる作物として「パドロン」の生産に取り組む

「一番最初に作ったのはキュウリとかでしたね。初年度はめちゃくちゃ下手だったけれど、だんだん腕も上がって、売上高も上がって生活していけるようになりました。でもある時、昔から付き合いのあった知人に“おまえのキュウリどこで買えるの?”と聞かれて答えられなかったんです。これじゃいけないと――」

例えば、農協へ出荷した作物は、東京都の中央卸売市場である「大田市場」へ行くが、その先どこに届くのかわからない。吉田さんはこうした商売につまらなさを感じたという。

「ちょうど大手のスーパーマーケットとかで、生産者の顔が分かる作物が並ぶようになった頃でした。でも反対に、僕ら生産者からは消費者の顔が見えていなかった。だから、消費者が見える農業に変えたいと思ったんですよ」

そこで吉田さんが目を付けたのが「パドロン」だった。「ピメント・デ・ パドロン」(パドロンのトウガラシ)とも言われ、名前から想像できる通り、元々はスペインのパドロンという街の特産品だ。

パドロンは、獅子唐辛子に似た長さ5cmほどの野菜で、素揚げにして食べると渋みが少なく、口の中にソラマメを思わせる甘い香りがほのかに広がる。たまにじんわりと辛味を帯びたものもある。ただ、生産を始めた当初は、日本では知る人ぞ知る作物で、商売として生産する人はほとんどいなかった。

「自分に直接注文が来るスタイルになれば、お店で買ってもらって評判も分かるはず。そう考えて、自分からしか買えない野菜を探したんです。農閑期に伝手をたどって、東京で複数の飲食店オーナーや料理人に、欲しいけど入手しづらい野菜はないか、とヒアリングしてみたところ、いくつか候補が見つかりました」

パドロンの存在は、転職してスペインバルのオーナーとして活躍している前職の先輩に教わった。現地ではビールのおつまみとして親しまれてきた作物であり、タパスの定番。日本でいうところの枝豆のような存在だ。こうした食され方を知り、吉田さんの心は決まった。

「ネットで検索したら“スペインではビールとともに食べられている”という一文を見つけて、この特徴を主張していこうと決めたんです。本当は、遠野がホップの名産地だからおつまみを作っていて――とか言えたらかっこよかったのでしょうが、当時は気づいていなかったんですよ(笑)」

その後、まずはパドロンを知るスペインバルを入り口に展開し、2~3年をかけて徐々に販路を拡大していったという。今では都内のお店でもたまに見かける“ビール好きなら知っている野菜”になりつつある。

遠野の名産品でもある「ホップ」の生産にも着手

もう一つの転機は2013年にあった。キリングループが東日本大震災復興支援の一環としてスタートした、農業経営者育成プログラム「東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト」に1期生として参加したことだ。行政機関や企業、都内のビジネスパーソンなどとも繋がり、そこからホップ生産に携わるきっかけも生まれた。

「このプロジェクトでは、農業をより良くしていくためにはどうしたらいいか、いろんな人とミーティングしながら考えましたね。その後、何年か経って、遠野市の方から“ホップの生産者が減っているので生産に加わってもらえないか?”と言われたんです」

生産したパドロンが売れるのは、遠野がホップの産地である恩恵があったと吉田さんは感じていたという。お世話になった恩返しに、とホップ生産を始めることに。その後、キリンの契約農家として「一番搾り」にも使われるホップを毎年夏に収穫している。

「ホップとパドロンを両方生産しているというのは、自分にとっても良いかなと思いました。今はまだまだパドロンの方が多いですが、将来的にはホップとパドロンを1:1の割合で生産したいと考えています」

「ホップの里」から「ビールの里」へ

BEER EXPERIENCE社は、2018年8月にキリンと農林中央金庫の出資を受け「ビールの里構想」の実現に向けたまちづくりにも挑んでいる。これはホップ生産を起点に、ビール文化の発展や産業の創出によって、地域創生につなげていくというものだ。

「単独でできるわけではないので、協力者を募りました。例えば、今は『ビアツーリズム』というツアーを実施していて、ホップの産地を巡ったり、夜にビールを飲みながらおつまみを食べ歩いたりしています。そのためには、農場だけだと弱いから、ビアパブが街にあったら良いなぁ、と遠野醸造さんに協力してもらった」

また、「遠野ホップ収穫祭」というイベントもビールの里構想の取り組みの一環だ。この中で、農場の見学バスツアーも実施している。参加者は市内、県内の人が多いが、宮城や仙台からのツアー参加者も意図的に募った。

「目的は、遠野が全国でも有数のホップの産地なんだという記憶をもう一度思い出してもらうことです。ホップの生産量で、岩手県は都道府県単位で全国1位、遠野が市町村単位で2位ということをもっと知ってもらいたい」

大企業とうまくコラボする秘訣はなにか

そもそも、吉田さんが脱サラして始めた農業だったが、今ではBEER EXPERIENCE社は遠野の地方創生にとって欠かせない存在になっている。事業を大きく展開してこられたのは、吉田さんの考え方や姿勢にヒントがあるかもしれない。

例えば、先述したキリンの東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクトは2014年の3月で形式的な部分は終わったが、企業としての良好な関係性は続いている。BEER EXPERIENCE社の事業として、年に1回のキリングループの社員研修を受け入れ、ホップの生産現場を体験してもらう。反対に、パドロンの販売では、キリンの営業部隊が飲食店に売り込んでくれる。

「キリンしか扱えない食材を飲食店に、しかもビールに合うおつまみとして紹介してもらう。おこがましいかもしれませんがWin-Winの関係がしばらく続きました」

こうした大企業に臆することなく付き合えるのは、会社員時代の経験で培ったものが大きいと吉田さんは話す。

「飛び込みに行ったり、キリンのような会社とつきあっていると、周りの農家からは“よく怖くないな、騙されるぞ”とか言われたりしますよ(笑)。でも僕は10年以上広告代理店にいて大企業と仕事もしてきたので、全然怖くないんですよね。例えば、見積もりのフォーマットも作れるし、仕事の駆け引きの感覚みたいなものも分かっていました」

もし東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクトのような機会がなかったとしても、と前置きをしながら、吉田さんはこうも話した。――最初からキリンのような大企業が組むわけがないとか、欲しているわけがないというような思い込みの障壁をなくして発想するのが大事だ、と。