「手描き」を一過性のブームではなく、根強いカルチャーにするべく目指して行動したこと/手描きアーティスト CHALKBOY

飲食店に設置されたブラックボードに、レタリングやイラストが鮮やかに描かれれば、独特な味わいのある雰囲気を出せる。チョークアートと称されるこうした作品は、飲食店やカフェの内装に欠かせない要素だ。この黒板描きを仕事にしているアーティストがいる。CHALKBOY(チョークボーイ)――本名、吉田幸平さんだ。いまは黒板とチョークだけでなく、壁とペンキ、紙と万年筆などを使用した作品を仕上げることもあるが、「手描き」にこだわるのが彼の流儀である。

「自分では手描きグラフィックって言っていて、グラフィックデザインを手で描く仕事をしています。主に、店舗の黒板デザインやロゴ、広告のイラストやパッケージとかを手がけていて、ライブペイントやイベント会場の大きな壁のデザインをすることもある。『手描き』を軸に活動しているんです」

最初は個人で活動していたチョークボーイさんだが、2018年にはWHW!というチームを立ち上げた。いまは、「Tokyobike Shop 中目黒」の一角を借りて、WHW!としての活動の窓口を設けている。

「2本の手だけではやりたいことが収まらなくなってきたので、昨年チームを作りました。今のところ、僕を含めて6人のメンバーが集まっていて、『WHW!』という屋号でやっている。これは『What a Hand-Written World!』のイニシャルで、僕たちが目指すべき世界でもあります」

元々絵が好きだったが、最初の職場は合わなかった

吉田家は、特に芸術の要素が強い家庭ではなかったという。強いて言えば、両親は幼稚園の仕事に関わっており、歌を唄ったり、お絵かきをしたくらい――、とチョークボーイさんは話す。

「父親は臨床心理士という仕事をしています。僕が高校生くらいの多感な時期には、うちの親父は変な仕事しているなと思っていました。だから、もし自分がどんな仕事をしても、止められるとはないだろうなと」

なぜ芸術の道を選んだかを振り返れば、話は学生時代に遡る。その源流は、元々「文字」に興味があったという中学時代だ。

「中学生のときにはすでに絵が好きだったのですが、どちらかというと文字――タイポグラフィの方に興味がありました。本屋で文字ばっかり載っている本を買ってもらったり、自分で買ったりしていました。一番最初にお小遣いを貯めて買った画集は、サイケデリックなバンドのポスターなどがまとまっているものだったんです。たしか中学生1年生くらいのとき。それが気に入って、自分で真似したりとかしていましたね。学園祭とかでは、ポスターの絵を任されて書いたりした。こういうのが原体験みたいなものです」

このような流れを良い方向に導いてくれたのが、中学校の担任の先生だった。進路指導のときにアドバイスを受け、大阪市立工芸高校へ進むことになる。

「担任の先生って、普通だったら相談に乗ってくれるでしょ? でも、その先生は『お前はここへ行ったほうがいい』みたいな感じで、指定してきたんです(笑)。工芸高校は、当時普通科がなくて、全部が美術系の学科だった。僕はビジュアルデザイン科というところを受けました。実は、その先生も工芸高校出身だったんです」

同校では、美術大学の1~2回生が学ぶような基礎を3年間かけて身につけたという。古典的な手法については、このときに理解を深めた。

「今思うと、古い授業だったなぁと思います。いまどき『カラス口』という製図用ペンを使って線を引いているデザイナーはあまりいないと思いますが、“グラフィックデザイン”という言葉が出てくる前の“図案”で考えていた時代のものから教わることができました」

高校を卒業してからは、学校に届いていた求人経由で面接を受けて、グラフィックデザイナーになる。しかし、この時は長く続かずに退職してしまう。

「そこが激務のめっちゃキツイ会社だったんですよ。高校卒業直後の子どもにそんな仕事が勤まるわけもなく。結局、精神のバランスが崩れて、半年ぐらいで辞めてしまいました」

転機はロンドンでの生活

「実は音楽もやっていて、小学校でピアノを始めて、高校では軽音部みたいなところで活動していました。こっちも本気でやりたかったので、就職するときはどっちにしようか悩んでいたんです。最初は仕事にしやすいデザイナーを選んだのですが、仕事を辞めたので、そのあとは音楽に挑戦しました。そうした中で、グラフィックと音楽の間みたいなことをやりたいなと思って、このようなことができる職業がないか考えていました」

友人には「VJ(ビデオジョッキー)」がいいのでは、と勧められたこともあったというが、しっくりこない。当時は「パフォーミングアーツ(演劇や舞踊による表現)」や、「インスタレーション(オブジェなどを用いて空間そのものを体験させるアート)」などにもアンテナを張っていたというが、最終的にロンドンの大学で学ぶことを選択した。ここがひとつの転機になる。

「いろいろとリサーチをしていたら、分野と分野の間を飛び越える学部があると知って、そこを受けようということになりました。ただ、英語もアートも学ばないといけなかったので、まずは、美大に留学するための専門学校みたいなところに通った。高校を卒業して2年後、20歳くらいの時に、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズという芸大を受けて、そこに入りました」

実際に現地に行ってみると、自分のやりたいことと学校で学べることがマッチしないと感じることもあった。そこで、ロンドンの別大学に編入する道を選ぶ。

「セントラル・セント・マーチンズは『アレキサンダー・マックイーン』や『ジョン・ガリアーノ』といったファッションデザイナーを輩出してきた大学。良い意味で、ファッション馬鹿が多かったんですよ。だからかもしれませんが、僕にはピントこなかった。ロンドンユニバーシティには、いろんな大学があるんですが、そこで転校を申請して、もっとテクノロジーに寄った『ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーション』という大学に編入。身体表現や2次元のグラフィックデザインなどを1年間学びました」

しかし、チョークボーイさん。授業の膨大な量の課題に取り組んでいたら、気づけば時間も無くなったそうだ。

「音楽が使えて、映像もできるということで、半年くらいアニメーションをやりました。しっくり来てはいませんでしたけどね。日本のアニメみたいにセル画を描くのではなくて、まず映像を撮って、1秒を何コマかに分けてプリンターに出力して、それを重ねて描いてまたスキャンして映像に戻していく。それに取り組んでいたら、学校に行く時間もほとんどなくなっていましたよ」

そんなときによく通っていたのが、近所のカフェだった。チョークボーイさんは、当時を振り返ってこう話す。

「住んでいた家は、インターネットも引けないような感じでした。しょうがないから近くのカフェに行って、コーヒー1杯で12時間くらい粘ってた。いま考えても申し訳ないですが、店員さんは嫌な顔ひとつしなかった。ここで得た体験が、次の僕の行動に繋がりました」

帰国後のカフェ勤務が手描きアーティストになるきっかけに

手描きアーティストになるきっかけとなったのは、帰国後に勤めたカフェでの経験だった。

「まずはお金を手に入れるためにアルバイトをしようと探しました。何をしようかなと思ったときに、お世話になったカフェへの恩返し的な感覚で、カフェのバイトを始めたんです」

黒板との出会いはここだった。実は、最初は作業をサボるための口実でゆっくり書いていたのが始まりだという。

「このカフェで、1800mm x 900mmくらいの扉一枚くらいの黒板を毎日描き換えるという仕事があったんですよ。なんとかサボりたいなぁと思っていたので(笑)、30分くらいかかる黒板描き作業を、最初はダラダラ書いていたんです。でも、そうしたら先輩が来て早く描けと注意されてしまう。それで今度は怒られないようにサボる方法はないかなぁと考えて、時間をかけてじっくり描くようにしたんです。すると、描く内容に密度が必要になる。アイデアを考える時間はなかったので、当初はワインやビールのラベルを参考にして描き始めるようになりました」

この黒板はカフェの店内にあるので、来店客から描いている様子が見える。時間をかけてじっくりと描く様子は、客の目からパフォーマンスのように映った。動機はともあれ評判も良く、写真を撮ってくれる人もいたそうだ。こうした取り組みが、ひとつの仕事をきっかけに本業へと変わっていく。

「ある日、社長が黒板を描く様子を見て、これすごくいいねって言ってくださった。そこから新しい店舗ができたりしたときに、アルバイトながら出張して描きにいったりしていたんです。で、ある時、ほかのお店をプロディースする案件があって、店内開発とかメニューを会社で受けることがありました。その中に黒板を描く仕事があって、僕が行ったんです。社員さんに『今日の君はプロだから、プロの顔をしていってね』と言われて行きました(笑)」

作業としてやることは普段と一緒。精一杯取り組むだけだ。しかし、その仕事がたまたま建築の専門誌に取り上げられ、会社がインタビューを受けることに。チョークアートのクレジットとして自身の名も入れてもらえることになった。ここで、この活動がお金を稼ぐチャンスに繋がるかもしれないと思い、アーティスト名をひねり出す。

「クレジットの記載名を確認する電話があったんですよ。実は、その雑誌は読んだことがあって、連絡先が載らないルールも知っていた。これは名前で勝負せねばならん。本名の吉田幸平じゃ僕までたどり着けないだろうから――、と電話口でひねり出したのが”チョークボーイ”でした。直前に見ていた映画が『グランド・ブタペスト・ホテル』で、そこに“ロビーボーイ”という主人公が出てくるんです。その世界観で黒板描くだけのやつがいたら面白いかなと前から考えていたからアイデアとして浮かびました。最初はスペルを間違えてしまったんですけどね。うっかりチョークスリーパーの『CHOKE』にしちゃった(笑)」

CHALKBOYと自らを命名してからは、仕事の依頼がどんどん舞い込むようになったという。SNSに作品を投稿しやすくなったのもひとつのきっかけだそうだ。

「名前がつくと不思議なもので、人格が変わってキャラをかぶれるようになりました。その当時から始めていたインスタグラムで作品を挙げたりしていたんですが、名前が付いただけで気恥ずかしさがなくなって投稿しやすくなったんです。そのうちに『うちにも描いてくれないか』と依頼の連絡が来るようになって、徐々に仕事として成立していきました」

「生き残るため」に何かしなくてはいけないと考える

「一方で、名前をつけた瞬間からけっこう仕事が来て、不思議だな~、怪しいな~と違和感がすごかったんです。調べてみたら、どうも黒板アートがインテリアとしての流行りらしいということが分かった。白タイル、黒アイアン、古材、そこに確実に黒板がマッチする。家だろうがカフェだろうがどこでもニーズがあるタイミングでした」

チョークボーイさんは、そこでこんなことを考える――このままじゃヤバイ、ただのブームで終わってしまう、と。そして、ただ仕事をするだけではなく、生き残るための活動を始めた。

「はは~ん、これは流行りだなと気づきましたね。そして風前の塵にはなりたくないなと思ったので、一過性のブームとして3年以内に廃れないようにするにはどうしたら良いか考えました。そこで、流行って廃れていく流れのあるいろんなカルチャーをディグってみたら、スケボーカルチャーがあったんです」

スケートボードは日本では60~70年代に流行り、そこから一度ガクンと廃れた。しかし、そこから誰もスケボーをやっていないという状況にはならず、若者の間でカルチャーとして生き延び、今やひとつのスタイルとして根付いている。これを参考にしたそうだ。

「跳ね上がって爆発するのではなくて。じわじわ続くのが良いなと思いました。根強いカルチャーになりたいなと。そうなるためには、楽しむ人の分母が多くなくてはいけない。一部の人や地域だけじゃいけない。当時、僕宛の仕事が多かったのは、多分描ける人が少なかったから。だからプレイヤーを増やさないといけないし、価値を分かって仕事を依頼してくださる人も増やさなくてはいけない。そこをいろいろ考えた結果、ワークショップを開催することにしました」

チョークボーイさんは、ワークショップをやりまくった。結果、良いことがたくさんあったという。

「楽しんでくれる人がいて、その人たちがさらに広めてくれる。そして、興味を持って参加してくれる人たちには、自分でお店を持っている人も多くて、どんどん仕事を依頼してくれたんです。そういう人たちはスピード感を持って仕事をしているので、ワークショップを受けて、自分で『やる』からプロに『任せる』に判断が切り替わるんです」

その後は個展を開いたり、書籍を出版したり、良い流れで仕事は進む。ただし、このような状況でも、満足していない部分があったという。

「個展に編集者の方がいらっしゃって、『これはもう本になりますね』と企画を挙げてくれました。トントン拍子に、主婦の友社で『すばらしき手描きの世界』という本になった。類書もたくさん出て、類書が出れば出るほど、カテゴライズされて、本屋でも良い場所に展示してもらえるようになりました。どんどん知名度が上がっていって、規模感のある仕事も舞い込むようになりました。

でも、周りを見たときに、自分みたいに手描きだけ食べている人が少なくて、なかなか売れている人が出てこなかった。理想としては、10人くらい手描きのヒーローみたいな人達がいて、追いつけ追い越せ、と後続が出て来て欲しかったんです。その点については、自分の思っていた初速とは差がありました」

その後、発表の場を見直す。手描きアーティストの祭典として「HAND-WRITTEN SHOWCASE」という名の展示会を開催。描く人と、見る人、企業を結びつける場を設けるようになった。

また、この頃にチームを組む動機も強まった。2018年6月にはチームを立ち上げ、会社化。特注自転車のプロモーションでご縁があったtokyobikeの店舗の一角に窓口を設置させてもらい、2019年3月から営業を始めた。

「直接的にアーティストを増やすこともできるだろうと思ったんですよ。一人雇用すればフルタイムのアーティストが一人増えますから。出店スタイルで表札看板屋さんみたいなのをやっていたのですが、これがすごく人気でニーズがあるなと思っていた。だからこれでお店として開いて、それをやりながら大きな案件をチームで動かしていこうと思ったんです」

紆余曲折を経験しながらも、もともと興味があった“描く”ことを仕事にできたチョークボーイさん。スキを仕事として生き続けるためには、彼のような長期的視点での戦略も大事だと言えよう。