スキを求めて檜原村へ。移住して分かった“よそ者”の心得/東京裏山ベース 神野賢二

外遊び系アクティビティの拠点として幅広く活用されている東京・武蔵五日市駅前にある『東京裏山ベース』。この拠点を立ち上げたことは、神野賢二(以下ジンケン)さんにとっては大きな転機となったが、同時に苦労も多かった。ひとつひとつの困難を乗り越えていく過程で気付いたのは、地域の可能性に向き合い、協力者を得ながら活動することの重要性だった。移住者が地域に溶け込み、生活を楽しみながら好きを仕事にするためのヒントを探る。

クラウドファンディングで目標の倍額を達成

ジンケンさんが学生時代に通い出した頃から、武蔵五日市駅周辺にはファミレスはおろか、人が集まれる場所がほとんどなかった。ちょうど、地域でできた知り合いとも拠点が欲しいという話で盛り上がっていた頃、ジンケンさんが家探しでお世話になった不動産屋から空き物件の話が舞い込んできた。

「武蔵五日市駅前におばあさんがやっているレンタルサイクル屋さんがあったんですが廃業すると。その時、『ここしかない!』と思い、借ります!と不動産屋さんに宣言していました」

そこが現在の『東京裏山ベース』になるのだが、ジンケンさんには店舗運営の経験もなければ、資金もない。あるのは、それまでツアーガイドをやってきた経験と、都会から遊びに来る人・地域の人と話してきたことで浮かんできた数々のアイデアだけだった。

「クラウドファンディングって、僕自身はそれまで支援したこともなかったんですが、地元の方や友人たちと話す中で、僕がこの場所でやりたいことに共感してくれる人がいる、そうした人たちの支援を得てやることには意味があると思うようになりました。『もし、誰も支援してくれなかったらどうしよう』という怖さはありましたが、やると決めた以上は、資金集めのためにも後にはひけません。地域起こし系の『FAAVO(ファーボ)』というクラウドファンディングがあったので、その担当者と打ち合わせを重ね、支援を募りました」

当初想定した必要金額は80万円と弱気の設定だったが、担当者に相談し、現実的な額で150万円を目標金額と設定。結果的には倍以上となる約327万円の支援金が集まった。

「クラウドファンディングで支援を募るには、僕がこの場所で何をやりたいのかを整理して伝えなければいけませんでした。僕自身やりたいことに向き合って、テキスト化できたのはとてもいい機会でした」

改装に使える時間は3ヶ月、資金は限られているので全てを工務店に任せるということはせずに自分でできることはやり、ガスや水道、電気工事は知り合いの地域の業者さんに直接お願いした。古い床材を剥がす作業などはイベントにして参加者を募ってDIYした。他にも多くの作業を知り合いを頼って手伝ってもらい、2016年4月1日に晴れて『東京裏山ベース』はオープンした。

救いの手を差し伸べてくれた、地元の若者

「オープンはしましたけど、不安だらけ。何が不安かわからないぐらい不安。楽しいことをしているはずなのに、なんでこんなにしんどいんだろうって思う日が続きました。今考えると、自分がやりたいことと得意なこと、理想のイメージとそれに対する自分の態度が噛み合ってなかったんだなと思います。でも、やめたくなかった。今でも、思い出すだけでしんどいこともあります。今考えたら、もっと自分を信じてあげたらよかったのかもしれません。焦っても良いことはありませんね。」

オープンから3年が経ち、その3年を振り返るとオープン直後のある出来事が重要な転機になったとジンケンさんは言う。

「みんなで面白い場所を作ろうと始めましたが、この場所にどうしても必要だったのはカフェでした。まずは立ち寄ってもらわないといけませんし、収支の面でもシャワーやロッカールームでは売り上げが立ちません。ただ、この場所は土日は大勢の人が来るんですが、平日はガラガラだったり、増減が激しい。それでも初めての経験ばかりで忙しく、毎日動きながら考えるトライアンドエラーでバタバタの毎日でした。そんな中、最初にカフェの運営をお願いしていた人が1ヶ月ほどで辞めてしまったんです。これは焦りました。当初の計画が頓挫しかかったその時に救世主になったのは、地元のあきる野市の20代半ばの若い人たちでした。彼らは裏山ベースがオープンする少し前に小さな会社を作っていて、地域を盛り上げる仕事をしたいと。そこで、カフェの部分を彼らがやると言ってくれたんです」

現在も二人三脚で『東京裏山ベース』を運営しており、カフェやロッカーの受付など拠点運営を20代の若手グループが担い、ジンケンさんはプロモーションやイベントの企画、その他、行政とのプロジェクトや新たなガイドツアーの企画立案などを担当している。

ジンケンさんは、移住者として外から来た人でもあるが、地元の若者や地域の人と繋がることで助けられていると話す。

「地元の方に応援してもらうのは、すごく時間がかかったり、コミュニケーションにもハードルは色々とあります。でも、やはり地元の人たちとビジネスでも面白いことでも一緒にできるから、今の僕があるように思います」

色々あるというハードルをどのように越えていったのだろうか。

「これはあくまで僕の考えですが、移住して最初の5年ぐらいまでは、地元の『常識』から外れて空気を読まなくても許されるというか、何か変なことをしても『あいつは何もわかってねーな』で許してもらえる、移行期間のようなものがあると思っていて。それに、移住して時間が経って、地域にお世話になったり日常的に付き合う人が増えていくほど、新しいことを始める時に具体的に迷惑をかけてしまう人の顔が浮かぶようになって、気持ちの踏ん切りがつきにくくなるというか。これは人によるんでしょうけど、僕は細かな人間関係の調整や空気を読むようなコミュニケーションが苦手なので、なおさらでした。誰にも迷惑をかけずに生きていきたいなんて本当は無理なんだけど、地元の人間関係や地域の常識を大切にしなきゃという気持ちが新しい発想にブレーキをかけるようになる前に、色んなことに挑戦しないと。僕もその間に、いろんな人にお世話になって迷惑もかけましたけど、おかげで『東京裏山ベース』の第一歩を踏み出せました」

なんでも楽しんじゃうことが、一番強い

このエリアへ引っ越して来たのが2011年。元々はよそから来たジンケンさんだったが、今は地元のことを考え、どうすればもっと地域の人も一体となってこの場所を魅力的にできるかを真剣に考える“半分地元の人”となっている。

「地元に溶け込みつつも、よそから来た人間だからこその視点や感覚で新しい風を吹き込むこと、場合によってはそれは『和を乱す』ことかもしれないけれど、変化していく時代の中でそれが地域にとっても自分にとっても価値があることだという自信を失わないことは大切だと思っています」

「僕がいまこんな感じでやれているのは、いろんな人が面白い人たちをたくさん紹介してくれて、繋がることができたおかげです。今度は僕が、新しくやって来る人と地元の人をうまく繋げていく役をやりたいと思っています」

最後にスキをスキルに仕事をすることについて、ジンケンさんなりの考えを聞いてみた。

「僕の場合は一度もサラリーマンをしたことがなくて、ずっとやりたいことだけやりながら、見方によってはつじつま合わせの人生でやってきました。もちろんしんどい時はあるし落ち込むこともありましたが、そういう時こそもっと自分を信じてあげたらよかったなと今となっては思います。自分がどうしてもやりたいこと、好きでたまらないこと、やらずにはいられない衝動には、理屈を超えた意味があると思うんです。例えば自転車が好きで、そのことだけをやって前の仕事と同じだけ稼ごうとするのはしんどいかもしれませんが、できることの可能性をひとつに限定せずに、好きなことに関連するいろんな可能性に挑戦しながら、そのこと自体を楽しめれば理想的ですよね。難しいですけどね。」

田舎暮らしでは、地域に溶け込めばそれなりの大変さもある。近所付き合いや自治会参加、消防団にも入ったりお祭りもある。やりたいと思っていたことに割く時間も少なくなるほどだという。

それでもジンケンさんは、笑顔でこう言う。

「ワクワクする楽しいことに挑戦しようとするほど、壁に当たったり余裕が無くなったり、時々自分を見失ったり。葛藤は常にありますが、自分で決断できる葛藤だからこそ、自由の証だなと。好きを仕事にすることって、そういう葛藤を引き受けることなのかもしれないなと最近は思います。しんどさや葛藤も含めて、その過程ごと楽しめるかどうか。それができたら、最強ですね」