「好きなことに役割を見出した」檜原村で信頼を勝ち得た理由とは/東京チェンソーズ 青木亮輔

行う仕事のひとつひとつが20年後、30年後……そのもっと先の未来にまでつながる、それが林業という仕事だ。未来を育てるだけでなく、先人たちが育ててきた材を活かすという役割も担い、自然環境にも大きく影響する。家業でもなく、土地にゆかりもない青木さんが、林業の道に入って18年。小さくても成功事例をいくつもつくることができた理由は?

誰もがやらないことだから、思うがままに突進できた

青木さんが代表を務める「東京チェンソーズ」。その業務をおさらいすると、森林整備を主軸に木材の生産・加工、それら製品の販売、「森デリバリー」によるワークショップ、さまざまなイベント出店……そして、30年かけてユーザーとともに森を育成する「東京美林倶楽部」などさまざまだ。

そもそも、青木さんが林業の道を選んだ動機は、室内に閉じこもってのデスクワークから脱却するためだった。冒険家に憧れた少年時代を過ごし、大学では探検部の主将として未踏の地を調査した青木さんが“外での仕事”を選ぶのは道理。

「地下足袋で大地を踏みしめる仕事をやりたくて林業業界に入った」という、この、ちょっと朴訥なエピソードがフィーチャーされるが、その実、
「人と同じことをしていちゃダメ。ふつうの人が足を踏み入れない衰退産業である林業なら、自分にもチャンスがあるのでは!」と成功ビジョンを予見しつつ、持ち前のフロンティア精神で突き進んだといってもいいだろう。

自分の“好き”からたくさんの人たちの未来を考える

東京チェンソーズ設立当初、“若き林業マン”と称された青木さんもこの道18年。山には大先輩ばかりというが、充分ベテランのキャリアだ。“好きを仕事”にした場合、その職業に就いたという事実に満足しがちだが、青木さんはそれだけでは終わらなかった。前2回の記事のように、既存の林業事業体では考えられないほどの実績を重ね、さらに新しいことに次々とチャレンジし続けている。

そして今、青木さんは現場に出る機会は少なくなった。その理由は、青木さんには次から次へと新しい課題がやってくるからだ。いや、やってくるという受動な言葉は適切ではない。自らが新しい可能性を広げ、道を切り拓くからこそ、“明るく儲かる林業”へのチャンスをつかんでいるのだ。

でもどうして? 林業の未経験者で檜原村になんのゆかりもなかった青木さんが、こうして(昨年、檜原村木材産業協同組合も設立するなど)信頼を得ることができたのだろうか? ここに“スキをスキル”にしたヒントがあるに違いない。

「檜原村にとって、林業とは決して特別な仕事じゃなかったんです。昔は当たり前のように、みな、山の手入れをして暮らしていました。けれども木材需要がなくなり、村から町へと出て行く人が増え、過疎化……高齢化が進んで若い人材が少なくなった。当然、山の手入れをする人もいなくなる。その穴を埋めたというか、自分の居場所をつくったというか、好きなことに役割を見出だしたというか(笑)」

青木さんは、村の人々ができなくなってしまった林業なりなんなりを『やってくれる人』となったのだった。林業だけではない。村の伝統行事にも最初から積極的に参加し、今では、青木さん以外にも東京チェンソーズのメンバーらが家族で暮らし、さまざまな村の行事の中核を為しているほどだ。

“町から来たお客さん”ではなく、どっぷり村の人間になったこと。青木さんが、そうした前例となったからか、今、檜原村には若い層が移住してきている。

20年後、30年後の将来、木がある生活が当たり前になれば

現在進行形のプロジェクトがいくつかあるなか、東京・四谷の「東京おもちゃ美術館」と檜原村の橋渡しをしているのが「檜原村トイビレッジ構想」だ。

「この秋に工房ができるんです。東京おもちゃ美術館が監修し、飛騨高山の家具メーカーであるオークビレッジさんが技術指導、檜原村が資金を出し、現在工房の運営事業者が公募されています」

場所は青木さんの自宅近く。廃校した小学校を建て直し、二年後の2021年に完成予定だという。
「檜原村は93%が森林です。村が生き残るためにはこの森林を活かさないと。ではなにができる? を考えたときに、おもちゃコンサルタントの資格を取得しました。デパートには海外のカラフルな木製のおもちゃはありますが、国産のはあまり見かけませんよね? なんと、国産のおもちゃの自給率は数パーセントなんです。ここに“伸びしろ”があると思いました」

単に“木のおもちゃ”をつくって売ることだけではない。檜原村はエコツーリズムを推奨していることもあって、村外からの子育て世代が集まる木育の拠点となり、また新たな観光産業の場所となるであろうと予想している。

「檜原村に来て、木のよさ、森のよさ、山村のよさを感じてくれる子どもたちが大人になったら? と想像するとワクワクしてきます。その子たちが20年後、30年後の東京をつくるんですよ。この子たちが大きくなったときには、もう森に行くことが当たり前で、疲れたときには『檜原村に行こう』とか、子どもが生まれたら『檜原村の木のおもちゃをあげよう』って。そんなふうに“木がある暮らしが当たり前”になればいいですね」