青梅で始めた農業は、ファッション業界よりも“世界”に近かった/Ome Farm 太田太

「Ome Farm」の太田太さんは「自分の野菜をどこのだれが食べているか知らない農家さんが多い。それじゃ旨いものはつくれませんよ」と断言する。野菜を調理するレストランのシェフや、家庭で料理して食べる人たちをしっかり認識したうえで農業は、従来型の農業とは一線を画していると言えるだろう。わずか数年で多くのファンを抱えるまでに成長し、まだまだ新しい農業を進めるOme Farmの未来とは?

自分たちにマッチした、売れるためのルートを見つける

東京の独立した有機農業者のなかで、“農業・自家採種・養蜂”がセットになっている「Ome Farm」の存在は稀だ。循環される農業でありビジネスをわずか数年で構築した太田さん。

「それぞれのセクションにおいて、個々のスタッフに任せています。うちは上も下もない共同体です。お互いがいないとやっていけない。それがいいんだと思います。来年には、予定していた五カ年計画通りになって収支もきっちり合うはず。そろそろ次のステップに進んでもいいかなと」

次なるステップはにいくつもの構想があるそうだが、ひとつは2〜3坪程度のスペースに固定のショップを出すこと。場所は太田さんが生まれ、思春期を過ごし、今も暮らす東京・池袋も候補のひとつにしている。

「あの町に本物の有機の野菜があったら、おもしろいと思いません? 1日に数万円の売り上げでいいんです。小さい経済圏のお金を積み重ねるためには、直販をたくさん持ったほうがいいと確信しています」

野菜は主役じゃなくていい、名バイプレーヤーを目指せ

そんな展開を予想できるのは、消費者と直接交流できるファーマーズマーケットの存在が大きいだろう。

「朝イチで買いに来て下さるのはプロの料理人か料理通の人たち。だから通好みのマニアックな野菜から並べています。あるレストランのシェフがいまして、この方、なかなかに眼が厳しく。買うときはドサッと買ってくださいますが、気に入ったものがなければなにも手にしない。

僕らとしては、どうしたらお買い上げいただけるのだろうかという気持ちになって、『ではあのシェフは、何なら買ってくれるのだろうか?』と畑で会議したんです。そして、市場にはあまり出回らない、ある野菜の芽を持って行ったところ見事に買ってくださった! 狙い定めたところにホームランが入ったようで、思わずスタッフとハイタッチしました」

その様子をシェフが見ており、「なにやってるの?」となって……。

「『シェフがなにを欲しがっているかを会議してきたんですよ。だから、うれしくて!』と正直に伝えると、これまで笑顔をまったく見せたことのないシェフが、『ふーん』って笑ってくれた。こんなにうれしいことってありますか!」

まさにディレクションというか作戦勝ちだ。こういうことがあるから、ファーマーズマーケットはやりがいがあるという。ある人の好きなものが分かれば、そこにターゲットを絞り、ニーズがあるものをつくる。それが実を結んでいる。また、たった数分で数千円のキャッシュ化ができることも多く、それも事業の観点からプラスに働いているという。

「おいしいと思ってくれる人、おいしいと食べてくれる人ならわかってくださるんです。そもそも野菜は主役じゃなくていい。お肉やお魚が主役なのは当然で、でも、その横でものすごい存在感を放つ……助演男優賞をつねに狙い続けようと思っています」

小さなスペースでも商売を通して、さまざまな人とコミュニケーションを

ファーマーズマーケットには太田さんの奥さまやお子さんも店に立つことがある。青山という場所柄もあって、外国人の常連さんもたくさんいる。太田さんは英語とスペイン語、奥さまはフランス語ができるから接客はバッチリ。お子さんは英語を勉強中、スタッフもみな海外経験があるから語学にまったくの不安はない。

「ナニをやったら世界の人と触れ合えるんだろうと思っていました。つねに世界の人と関わっていたいんです。農業には語学は関係ないと思う人もいるでしょうが、ファーマーズマーケットで自分たちがやっていることを理論的に英語で話すと、外国の方はみるみる目の色が変わっていく。海外の三つ星店のシェフも『地元の野菜よりもおいしい!』って感動してくれる。僕たちにとって農業は、そんなふうに世界の人たちと対等でいられる、認められるという手段です」

そうして交流を深められるのも「おいしくて安心、安全な野菜」をつくっているからだ。農業をする原動力は「うまいものを食べたい!」に尽きるという太田さんだが、実は最初は就農することを家族に反対されたという。妻は“知らないことをやるのは怖い”と言ったがそれは当然の反応だろう。

だが、今では「絶対にやめちゃダメだ」と声を大にして言い、もちろん太田さん自身も辞める気なんてさらさらない。前後するが、太田さんが寺田倉庫から独立した当初、金銭面に関してはかなり強い覚悟を持っていたようだ。

「自分が給料を取っちゃダメだ。一年間は1円も取らないと覚悟を決めて新しい会社にしたんです。家族に相談したら、『なんとかなるわよ、野菜もあるし(笑)』って」

いま“良い農業”とされているものを普通にする、東京でも農業をやりながら生きられるということを無理なく実践できるのは、ふたりの子どもの存在もある。上のお嬢さんは、食で病気を乗り越えることができた。下の息子さんは、奥さまのお腹にいるときから、太田さんの野菜を摂り続け……野菜&発酵食品が大好きだという。

都心に近い場所で、とびきりおいしい野菜をつくり、大切な種を採種し、養蜂も行う太田さんらの仕事は、新しい農業、未来の農業への大きな橋渡しとなっているはずだ。