自然のポテンシャルを最大限に生かした農業への道のり/Ome Farm 太田太

「人は食べたものでできていて、そして、その食べ物は人がつくる」——ごくシンプルで当たり前ことなのに、今の世の中はそれを忘れてしまいがちだ。はたまた意識していても“本当においしくて安全、安心な食”を求めるのはなかなか難しい。だが、オーガニックに真摯に向き合い、ひたすら旨い! を実践する農業集団がいる。それが太田 太(おおたふとし)さん率いる「Ome Farm」だ。

有機農法に理解があって水がすばらしい土地、それが青梅だった

東京の都心部から1時間ちょっと。青梅の山間の静かな場所に広々とした畑が広がっている。ふわっとやわらかな土に、目を凝らせば野菜の花々には蜂の姿も見える。雨上がりの雫もあってなんとも穏やかな畑だ。ここは太田さんら「Ome Farm」の畑のひとつで、この時期はカモミール、ボリジ、フェンネル、ロメインレタス、バターナッツ、えんどう豆があった。

土づくりから行う彼らの畑は完全無農薬。近所の保育園児たちの先生が「農薬を使ってないから安全だよ」と言いながら、子どもたちを連れて歩くという。「夏はいつもひまわりを植えてます。子どもたちにも『摘んでいっていいよ』ってね」という太田さんが、この地で農業をはじめたのは2015年のことだ。

東京・池袋に生まれ、幼少期からオーガニック先進国のアメリカを行き来して暮らした太田さんにとって、青梅はなんのゆかりもない土地だ。この地を選んだ理由とは?

「あきる野、瑞穂、奥多摩、青梅とまわって。有機農業への理解がいちばん深かったのが青梅でした。そして拡大できる面積(土地)がある程度あって、なにより水が良かったんです。山の近くで農業をやる利点はなんといっても水。小雨が降れば山に染み込んで“ろ過”されて水が出てきます。水質調査をしたところ、いわゆる“名水100選”レベルでした。おかげで、市販の名水がありがたくなくなった(笑)」

消毒されている水(水道水)と異なり、苗の育ち方がいいのも“天然のいい水”があればこそ。植物の80%以上は水だから、おいしい水を使っていればおいしい野菜ができるそうだ。

人の縁に導かれ、本物のオーガニック野菜の道に

「Ome Farm」の核となるのは3つ。自家製の培養土をすきこんだ土づくり、種はF1種ではなく固定種(自家採種も含む)と在来種のみ。そして完全無農薬で育てていることだ。さらに野菜の受粉にも役立つ養蜂も行っている。

大きく形が揃った、いわゆるJA規格通りの野菜と異なり、Ome Farmの野菜は「おいしさと安心・安全」を追求したナチュラルな姿をしている。畑でえんどう豆をいただいたが(もちろん生で!)、香り高く、ふわっとしているのにギュッとしており、なにより旨みが濃かった。ほかの野菜も同様で、ドレッシングなんて必要ないほど。 

そして、太田さんがお昼ごはんに作ってくださった「小松菜&新玉ねぎ&ルッコラの花のパスタ」でも野菜のパワーに驚かされた。小松菜というと、いつでもどこでも入手できる便利な野菜といった印象だろうが、「Ome Farm」がつくるのは掛け合わせ品種ではなく、伝統品種の「後関晩生小松菜(ごせきばんせいこまつな)」だ。

この一皿だけでも、ちゃんとした人が育てた、ちゃんとした野菜をいただける、ありがたさを実感できる。“ちゃんとした”ことがなかなかできない今の時代、太田さんがまっとうな農業を行うきっかけは、意外にもひょんなことだった。

「もともとはファッション業界で、服を売る人やクリエイターのサポートをしてました。アメリカでは展示会での営業なども行っていましたが、帰国して運営側になり、日本のデザイナーや才能を海外に、海外のデザイナーや才能を日本に伝える仕事をしていました。台湾で展示会を開催したときは、三日間で3万人を動員するほどで話題にもなりました。そこで寺田倉庫の社長にはじめて会って……」

2014年9月に寺田倉庫に入社。次から次へとドラマチックな展開があり、また、太田さんが持つ“人を引き付け魅了する”才もあり、寺田倉庫資本による「T.Y.FARM」がスタートした。2015年3月のことだった。

ファッションから農業————まったく異なる業種のようだが、「どちらもクリエイティブ」と太田さんは言う。そしてまた、お子さんが生まれたことも農業への後押しとなった。

「娘が生まれてすぐに先天性疾患があるとわかりました。完治することは珍しいらしく、医師には『治るかどうかわからないが薬があれば大丈夫』と。ですが、医師が言うままに特定の薬頼みになるのは根本的解決になっていなくて嫌だと思いました。そこで妻は西洋漢方を、僕は農業を通して娘の病気と向き合うことにしたんです」

離乳食はケールやカブをすりおろしたものなどすべて無農薬(もちろん自家製だ)。そこに漢方も加わり、根気よく向き合った結果、お嬢さんはどんどん回復していった。今ではすっかり健康体になったのだ。完治したときの喜びはひとしおで、「自分の経験を、同じ病気で悩む親たちに伝えることが使命のひとつ」と語る。

順調にスタートしたのにも関わらず、大きな転機がやってきた。

20代のほとんどを食に関心の高いニューヨークで暮らし、“安全でおいしい食材”に馴染んでいた太田さんが「東京産のオーガニック野菜」をつくることは自然な流れだった。

「15歳のころ、ニューヨークで親父と食事に出かけたときのことです。僕はパスタを頼んだのに、親父は生肉にたっぷりのルッコラとパルメザンチーズをかけたものを注文していて。『おいしいの? そんなので足りるの?』と訊くと、ひと口食べさせてくれたのですが、あまりにも苦くてまずくてビックリしました。

野菜の鮮烈な味を知り、その後はそのまずいと思っていた苦みにハマったものの、帰国して日本のルッコラを食べたら今度は本当にまずい。小松菜もまずく、生で食べられない野菜ばかりでした。旨い野菜を食べたいという極めてシンプルな思いが、自分なりの農業ができる原動力です」

小さいときから本物を教えてくれた父親の存在もあって、おいしいもの、安全なものが当たり前であった太田さんは“食べ手のプロ”と言ってもいいだろう。しかし、農業はまったくの素人だ。新規就農するために農業学校に通い、農家さんをいくつも訪ねもした。「倉庫屋が農業なんてできるはずがない」「無駄だ、帰れ」という門前払いもあり、畑を借りる際もあちらこちらで否定的な言葉があったという。

「東京都農業会議(*就農サポートをしてくれる団体)の人と、ある畑に見学に出かけたんですが、農業会議の方が『貸してくれるまで5年はかかるから』なんて言うんです。なのにすぐに見学先の方から電話がかかってきて。『お兄さん、熱意あるから、紹介するよ!』と。うれしかった。それがこの畑です」

閉鎖的な業界だけれども、新しいことにチャレンジする太田さんの本気度をわかる人はいたのだ。そしてパートナーとなる「Ome Farm」の農場長を務める松尾思樹さんを紹介してくれたのも、この人だったという。そこからの展開がまた早い。

「4月には最初の作物が芽吹きはじめて、6月には初出荷しました。最初の一年は、なにができるのかをしっかり見極めよう、研究しようと決め、いろいろトライしました。0.3ヘクタールの畑からはじめて。それが一年後には1ヘクタール、二年で2ヘクタール以上、三年で3ヘクタール以上になりました。地主さんが、僕らを見ていてくださっていて。『ちゃんと土を触れるヤツならいいよ』と貸してくれたんです」

寺田倉庫にとっても大きな話題となっていた。農業は自社プロジェクトであったが、「T.Y.FARM」は子会社化され(当然、社長は太田さんだ)、天王洲(*寺田倉庫の本社所在地)には無農薬・無化学肥料野菜を使用した直営レストランもオープンした。一見、順調だ。ところが……2017年、寺田倉庫が農業から撤退することに。オープンして間もないレストランも閉店という事態に。経営不振か? とんでもない。ほぼ事業計画書通りに進み、話題性も充分にあった。

「寺田の社長からは『続けたいなら、自分で資本金を集めて会社をつくったら? 君のやっていることは世間に受けそうだから、自分たちの会社にしたら』と言われて。T.Y.FARM設立の際、会社を起こすという経験をしましたが、冗談抜きの本番がやってきたという(笑)。そこで独立して現在に至ります」

壮絶な人生を送る中で訪れた、農業の道で独立するというチャレンジ。そんな太田さんが普段はどんな仕事をしているのか、次回の記事で紹介していく。