「コーラに捧げる365日」終わることなき理想のコーラ探求の日々/伊良コーラ コーラ小林

和漢方を製造していた祖父との思い出、大学時代の研究や広告代理店での経験、そしてコーラに対する情熱といったさまざまな体験や感情の化学反応によって完成した「伊良コーラ」。すぐさまコーラ小林さんは365日をコーラに捧げる生活をスタートさせるが、これこそが人々の幸せな笑顔を生む原動力なのだ。

「今作らないと、一生コーラは作らないだろう」と思った深夜2時

「コーラの原液ってシロップですからね。砂糖とスパイスと柑橘類を合わせて煮詰めるだけのものであれば特別に難しいことはありません。初めて作ったコーラは……美味しいといえば美味しいけれどオリジナルの『コーラ』にはほど遠いもの。だから『全部、天然の材料で作ってるのにコーラじゃん!』って思えるものを作りたかったんですよ。そこからですね。コーラ作りの日々がスタートしたのは」

広告代理店に就職したコーラ小林さんは、社会人生活が1年を過ぎた頃、偶然にも100年前のコーラレシピを発見した。しかし、帰宅するのはいつも深夜0時過ぎ。多忙な毎日だったため、材料は買い揃えたものの、さすがに「コーラ作りは後回しにしよう……」という気分にもなっていたが、ある日の深夜2時「ここで作らなければ一生作らないだろう」と一念発起。真夜中にコーラを作り始めた。「ここがターニングポイントだったかもしれないですね」。コーラ小林さんは、当時をこう振り返る。

「その頃は、毎日朝9時に出社。深夜0時に帰宅して、そこからコーラを作っていました。週末は魚釣りに行ってからのコーラ(笑)。あの頃は寝る時間も惜しんでコーラを作っていました。でも、辛いとか大変だっていう感覚は全くなかったですね」

“コーラ一本勝負!”が確信に変わった瞬間

作り始めて約3年。ついに納得のいくクラフトコーラが完成する。同僚に試飲してもらうと、美味しいという評価はもちろんのこと「お金を払ってでも飲みたい!」という反応が返ってきたという。自分の作ったコーラには価値があるのか──そう考えた直後にはフードトラックを作り始めるなど、早々と販売するための行動を開始する。移動販売車の愛称は“カワセミ号”。空を飛び回りながらもアウェイな環境である水中に飛び込み自ら魚を捕まえるカワセミの姿と、「コーラは手作りできないもの」という常識や既成概念に挑戦する伊良コーラの姿勢を重ね合わせ、ロゴにも採用した。

「週末に東京・青山のファーマーズマーケットに出店しているのですが、さすがに出店する直前は大変でしたね。何十人分ものシロップを一気に仕込む必要がありましたので。」

カワセミ号で販売を開始したのは2018年7月のこと。その後はメディアにも取り上げられるようになり、伊良コーラの名は一気に広まっていった。その年の12月には会社を辞め、コーラだけでやっていく決意をする。

「それでも、冬場はちょっと不安でした。『果たして売れるのか?』って。そもそも冬に全く売れなければ商売を始めたところで生計を立てられないわけですから。でも、寒空のなかでもお客さんに買っていただけましたし、オンラインストアでの販売もスタートさせたので一安心しました」

祖父が遺してくれたものが、コーラを完成させる突破口に

自らの生活をクラフトコーラ一本に絞ってからは、祖父が和漢方を製造していた工房でコーラ作りに勤しんでいる。クラウドファンディングで資金を調達し、コーラ製造のための改装を行った。

「本当にざっくりいうと、スパイスを潰す、レモンやライムをすり下ろす、火を入れるという3ステップ。使用するスパイスは10種類から15種類ですね。気候や気温でスパイスのバランスを変えているので毎回そのバランスは違うんです。そのスパイスは薬研や石臼ですり潰します」

そしてレモンやライムなどの柑橘類で使用するのはピール(果皮)と果汁のみ。

「すり潰したスパイスやすり下ろした柑橘類を大量に煮詰めているだけではなくて、焙煎や特殊な火の入れ方など、本当に多くの工程と技術が必要です。このヒントになったのが、祖父が行なっていた和漢方作りで、幼い頃にそばでみていたからこそ得られたものなんです。これが、クラフトコーラを完成させるうえでの突破口になりましたね」

現在、コーラ小林さんはこの工場で、平日は毎日朝9時から夜22時までコーラを製造し、週末はファーマーズマーケットで販売を行なっている。しかも、その販売さえも忙しいときにはスタッフに任せ、自身は工場でコーラ作りに勤しむこともあるという。

「それが1週間、1年のサイクルです。伊良コーラをスタートさせてから、そのスケジュールは変わっていないですね。日々進化をさせながら、とにかく作るだけ」

淡々と語るコーラ小林さんだが、コーラに人生を捧げたその表情はとても幸せそうだ。