ボードゲームの魅力を一番うまく伝えられる自分を熟知。だから僕は起業した/すごろくや 丸田康司

国内最大手のボードゲーム専門店「すごろくや」を経営している丸田康司さんは、『MOTHER2 ギーグの逆襲』や『風来のシレン』シリーズなどの名作ゲームを手がけた元ゲームクリエイターという経歴を持つ。そんな彼がテレビゲームからボードゲームへと活動の軸足を移したのは、「ボードゲームの面白さをいちばん上手に伝えられるのは自分」という強い思いがあったからだ。

今、日本国内でボードゲームが静かなブームとなっている。その種類は世界に2万点以上存在するともいわれ、ボードゲームの祭典「ゲームマーケット」への参加者数は年々増加。市場規模もどんどん拡大中だ。

シーンを牽引するキーパーソンのひとりが、ボードゲーム専門店「すごろくや」オーナー丸田康司さん。キャラクターものはもちろん、クイズダービーや西部警察といったTV番組から松田聖子といったアイドルまで、あらゆるものが大手玩具メーカー発のボードゲームになっていた1970~80年代に幼少期を過ごした。しかしその頃はそこまでボードゲームとの接点はなく、むしろ小学校5年生の頃には自宅のパソコンでプログラミングを楽しむほどの、当時としては珍しいデジタル少年だったという。

そんな丸田さんが最初の就職先としてテレビゲーム制作の道を選んだのは、ある意味で必然だったのかもしれない。1990年にSEDICへ入社し、テレビゲーム制作室に所属。その後、制作室ごと糸井重里さん率いる株式会社エイプに移籍し、スーパーファミコンソフトの名作として知られる『MOTHER2 ギーグの逆襲』の制作に携わることとなる。1995年に株式会社チュンソフト(現・株式会社スパイク・チュンソフト)へと移籍した後も、『風来のシレン』シリーズなど数々の名作ゲームを手がけた。

転機となったのは2005年のこと。会社で大規模な人員整理が始まったのを機に、次の仕事を探し始めたのだ。多くの同僚がそうしたように、他社へ転職してゲームクリエイターを続ける道もあったが、丸田さんの心には別の未来が見えていた。それがボードゲームの面白さを世に広めることで「自分にしかできない、好きを仕事にする」生き方だ。

ボードゲームの面白さを知ってもらう機会がなかった時代

丸田さんとボードゲームとの本格的な出会いはエイプ時代に遡る。当時、制作チームで流行っていたドイツ製ボードゲームの面白さに魅了されると、まだ日本では数えるほども存在しなかった専門店に足繁く通い、話題になっているゲームは一通り遊び尽くした。やがて自然と自分でもボードゲームを制作するようになったものの、売れ行きは芳しくなかったという。

この頃のボードゲームについて丸田さんは「ファミコンブームを経て、遊びの中心はテレビゲームへ完全にシフトしていた時代。将棋やトランプといったいわゆる定番品以外は、ボードゲームやカードゲームなんて扱うおもちゃ屋がほとんどなくて。そうなると“知る人ぞ知る”みたいな扱いになって、専門店の品揃えもマニア向けの難しいゲーム中心になりがちでした」と振り返り、「すでに万人が面白いと思える名作ボードゲームだってたくさんあったのですけれど、その面白さを一般の人々が知る機会というのは、圧倒的に不足していたんですよね」と分析する。

「どんなに面白くても、売っている場所も触れる機会もない。じゃあまずは“場所を作る”ことが必要だろうって。レールがないのに電車を作ってもしょうがないのと同じ。僕が当時考えたのは、まずは線路をひかなきゃってことなんですよね」

知られざるボードゲームの面白さを広く人々に伝えたい。それが現在のキャリアを歩み始めるきっかけとなった。

誰かが作る50点ではなく、自分が100点の結果を出す

どうしたら多くの人々にボードゲームの魅力が伝わるかを考え続けていた丸田さん。間口をひろげるために、相手の知識量や理解力を見定めながらゲーム内容を説明したり、その人の興味関心にマッチしたゲームを勧めたりといった、伝道師としての視点を持ってボードゲームの普及に取り組んでいった。

そうしてチュンソフトを退職後、1年の準備期間を経て2006年4月に“すごろくや”をオープンする。

「誰もやったことないことだし、大丈夫かな、と不安はあったけれど、もし自分がやらなかったら、思い描くイメージの40点、50点くらいのフォロワーがボードゲーム市場をひっぱっていく姿が予想できたし、そんな未来に自分は納得できないだろうと。それなら自分が100点満点を出したほうがいいって思って“すごろくや”を始めたんです」

そうして誕生した“すごろくや”は、店頭販売、ネットでの通信販売、他社製品を取り扱う卸流通にくわえ、自社の運営するイベントスペース「す箱」を中心とした定期的な体験会、大小様々なイベントを積極的に開催し、着々とファンを獲得していった。さらにメーカーとして新規ゲームの開発や海外ゲームのローカライズを行ったり、本の執筆・出版を行ったりと、現在ではその活動は多岐にわたる。

しかしこうした多面体的な活動の根底にある思いは、昔も今も変わらずシンプルなものであるようだ。

「僕の中では、販売やイベントといった活動を切り分けて考えてはいません。いろんな手法をとっていますが、すべてはボードゲームやカードゲームの魅力を伝えるため。最初からこれとこれをやるって決めつけているわけじゃなくて。やれることを全方位的にやっているだけなんです」

「あえて言うならボードゲーム芸人」肩書にしばられない生き方

丸田さんはよく、自分の立ち位置を“芸人”に例えて話す。

「何々クリエイターみたいな肩書にこだわりたくないんです。僕が自分の活動を“芸人”に例えるのは、面白い話がなければ自分で作るし、面白さを知らない人がいたら教えてあげる、楽しむ場がなければ作ろうよって姿勢だから。小学生の頃とか、面白いことを言ってみんなをいつも笑わせている同級生っていたでしょう? 僕はそういうのが好きなタイプで、“俺が俺が”って大上段から自己主張するよりは、どれだけ面白いことを見せられたか、どれだけみんなが楽しんでくれたかを大切にしたい」

肩書にこだわらない自由な発想で、自らが思い描いた“面白いこと”を次々とカタチにしていく丸田さん。次回はそんな彼が考える「遊びと面白さ」について話を聞いていく。